バンコク国立博物館 National Museum Bangkok
バンコク国立博物館は、1859年にラーマ4世によって設立されたタイで最初の公立博物館です。「フロント・パレス」(前宮)の名のとおり王宮の真正面に位置し、王座の間と王宮からなる美しいタイ建築のひとつとされています。
かつてのラーマ5世の時代までこの宮殿には5人の副王が住んでいました。その後、副王の地位は廃止されたため、空き家となった住居に「ルアン博物館」を設置し、数々の文化遺産、宗教美術品、王族ゆかりの伝統工芸品などを展示することになりました。設立当初は王室のプライベートミュージアムでしたが、ラーマ7世の時代には、殿下が「バンコクのための博物館」として設立し、1934年に「バンコク国立博物館」と正式に宣言しました。
この博物館は、見学しやすいように全部で13のセクションに分けられています。今日は私が皆さんを案内しますね。さあ、まずはチケットを買いに行きましょう!
外国人は200バーツ、タイ人は30バーツです。こちらでは傘を無料で貸し出しています。博物館は複数の建物を移動するのでこれからの雨期の観光には助かりますね。
チケット購入後、COVID-19のチェックポイントを通って入館して下さい。
●館内に水その他飲料水の持ち込みは禁止です。 ●ビデオ撮影は禁止ですが、写真撮影はOKです。
1. Siwamok Phiman Hall.
この建物は1782年のラーマ1世の時代に建設されて以来、王室の様々な功徳を行うために貴族が使用した宮殿でした。元々は壁のない広間で、木で造られており、現在よりも小さいものでした。その後、ラーマ3世の時代にかつての王座は取り壊され、より大きなレンガ造りの建物として建て直されました。屋根は今でも元の王座を模した木造です。現在、内部は古代タイ建築の美しさを復元し、価値のある骨董品や、素晴らしい芸術品が展示されています。しかし、私が行った日は改修中のため、残念ながら中に入ることができませんでした。
2.The Buddhaisawan Chapel.
プッタイサワン礼拝堂は1795年、副王スラシンハナートにより、プラ・ブッダシヒン(シヒン仏)を納めるために建てられた礼拝堂です。彼の死後、シヒン仏はあの有名なエメラルド寺院に移され、この建物は王座の館として使用されました。ラーマ3世の時代に行われた改修工事により、現代的な建築様式となりました。その後、ラーマ4世の時代にプラ・ブッダシヒンが戻されました。この礼拝堂の中には、ラーマ1世の時代の壁画があり、仏陀の生涯が壮麗に描かれています。
3.The red House.
「赤い館」と呼ばれるこの建物は元々、王宮の内庭に建てられていました。ラーマ1世が姉のシュリ・スダラック王女のために建てたものです。その後、ラーマ3世が内庭の家屋をすべてレンガとセメントの家屋に建て替えさせました。ラーマ2世の王妃が居住するためにトンブリのワンデーム宮殿に移され、モンクット王(ラーマ4世)の時代には、ピンクラオ王が副王としてワーンナーに移設し住むようになりました。このように移設を繰り返し、現在はバンコク国立博物館の一部としてラッタナーコシン時代初期のタイ人の持ち物や道具を展示しています。内部には、昔の生活に関する展示品があります。見に行ってみましょう。
当時出産した女性は、火床の前で木製の寝台に横たわり産後の修行をしなければなりませんでした。期間は人によって1週間から4週間(日数は奇数)で、長く続けるほど良いとされていました。修行を重ねることで、肌が健康になります。その女性が若く、第一子を出産したばかりの場合は、長く滞在することになります。
プラ・アウは、ゆりかごの台、木彫りのゆりかごの枠、シースルーのカーテンでできています。ゆりかごは、竹を編んで布を被せたもので、縁にはフリンジが付き、中にはパッドと枕が入っています。ゆりかごの梁には守護神のお守りがあります。お守りの表側には誕生日の守護神が描かれ、裏側には魔王のヴァイシュラヴァナ(毘沙門天)が描かれています。誕生日の守護神は、赤ちゃんのお世話をし守ってくれるものと信じられています。
ラッタナコーシン時代に木彫りで作られたものです。ジョンチッタノム・ディスクル王女(ラーマ5世の姪)からバンコク国立博物館に寄贈されました。シンハ(獅子)の脚、天蓋、植物のレリーフ、金箔を施した中国様式のベッドです。
シースリエン女王(ラーマ2世の妻)が所有した伝統的なタイの刺繡模様の靴。
4.Maha Surasinghanat Building
この建物では、アジアの美術展を開催しています。そして、先史時代から1800年代以前のタイの土地で発見された歴史的証拠-考古学的遺産を展示しています。この建物は6つの部屋があり全てで展示が可能ですが、404号室と405号室の2部屋は現在改修工事のため休館中です。
5.Praphat Phiphithaphan Building
こちらにはタイの各地に王国が形成された13世紀以降のタイの歴史的・考古学的な遺物が収蔵されています。1967年5月25日に故プミポン大王陛下によって落成され、2017年から2020年にかけて「前宮保存開発プロジェクト」の一環として改修が行われました。その展示は、歴史時代別に、ラーンナー、スコータイ、アユタヤ、トンブリ- - 初期ラッタナーコシン、ラッタナーコシンの5つのパートに分けられています。
国土の北部に位置したランナー王朝。12世紀末頃にチェンマイを首都として誕生しました。初期のランナー美術は、モン様式の上座部仏教の影響を受けていました。その後、ビルマのバガン美術を通じてインド美術の影響を受け、さらにセイロン美術やスコータイ美術の影響も受け、混じり合っています。
スコータイ王朝。北部の低地が発祥の地で12世紀半ばから約200年続いた王朝です。国を発展させ、広く領土を広げることによって、非常に繁栄しました。特に仏教に関する芸術作品の創造は、カンボジア、ビルマ、ランカ、ランナーの影響を受け、独自のスタイルに発展していきました。スコータイ県は世界遺産でも有名です。
13世紀半ばからタイの中部を中心にタイ族により興されたアユタヤ王朝。チャオプラヤー川流域 に位置し、417年にわたり貿易、経済、行政で繁栄した王国です。アユタヤの美術はクメール美術の影響を受けています。後にスコータイ美術の影響も受け、混りあっています。
1767年のアユタヤ陥落後、タイ王国の首都はチャオプラヤ川西岸の旧南部前哨都市トンブリーに移されました。その直後、新しい首都(バンコク)が誕生しました。1782年、ラーマ1世がアユタヤをモデルに東岸に建設したのがラッタナーコシン(チャクリー王朝)です。初期のラッタナーコシン芸術は、アユタヤ美術の様式を受け継ぎ、当時盛んだった中国との貿易により、中国美術の影響を受けています。
ラッタナーコシン王国のラーマ4世の時代。世界中に植民地主義が広がる中、タイには西洋の影響が入り込んできました。モンクット王(ラーマ4世の別名)はヨーロッパやアメリカの大国と外交関係を結び、国を西洋風の近代的なものに発展させました。
6.Moo Phra Wiman, the Vice King’s Residential Complex
ムー・プラ・ウィマンは1789年頃、ラーマ1世の時代に副王の住居として建てられました。ラーマ5世の時代に副王の位は廃止され、ラーマ6世の時代までは、国防省の兵舎として使用されていました。その後、ラーマ7世の時代にバンコクの博物館として改修され、現在に至るまで骨董品や芸術品を展示しています。
この展示室にも、興味深い骨董品がたくさん展示されています。今日は皆さんにいくつか見ていただきます。
この椅子は王様が長く立っていることのないよう用意され、行列を作るときや、戦争に参加するときにも使われていました。
7. イッサレート・ラチャヌソーン
ラーマ4世の時代に建てられた副王ピンクラオ王が使用した王座の間。ピンクラオ王は、1965年に亡くなるまで、ずっとこの玉座の間を住居として使っていました。現在、上階には、ヨーロッパ調の家具が展示されています。1階は王室の歴史や活動を紹介する展示室になっています。
8.中華風祭壇
ピンクラオ王は、中国風の住居を好んだといわれています。内部は中国絵画のディテールが満載です。
9. チャオプラヤー・ヨーマラート記念塔
ラーマ4世の時代に建てられた、2階建てのパビリオンです。三国志の物語を伝える彫刻が施されています。現在、内部は中国建築の装飾が施されています。
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Wat Rakhang Khositaram Woramahawihan(ワット・ラカンコシターラーム / 鐘の寺)
ワット・ラカンコシターラームはもともとワット・バンワヤイと呼ばれていました。 アユタヤが首都だった時代の古い寺院です。 仏暦2312年 (1769年)タクシン大王が王位に就き、トンブリー王朝と呼ばれる新しい首都を設立した後、彼はこのバンワヤイ寺院を改修し、王立寺院としました。 その後、トンブリー王朝は滅亡し、ラーマ1世がバンコクを首都とするチャクリー王朝(別名:ラッタナーコーシン王朝)を築きました。ラーマ1世が即位前に住居としていた建物は今も寺院の中に残っています。ラーマ1世が即位後、大規模な改修工事を行った時、非常に美しい音色を奏でる鐘が土の中から発掘されたのです。その鐘はチャオプラヤー川を挟んだ対岸にあるワット・プラケオ(エメラルド寺院)に奉納され、発掘地のお寺には鐘楼を建て、5つの鐘を設置しました。修復が完成した時、このお寺は「ワット・ラカンコシターラーム」タイ語で”鐘の寺”と名付けられました。今では通称「ワット・ラカン」として人々に親しまれています。
瞑想の姿勢をとるブロンズ製の仏像は座禅の膝の幅が約2メートル。仏像の前には、仏陀の教えを受けているかのように手を合わせて座っている三人の弟子の像があります。 この仏像の黄金の輝きは非常に美しいと有名です。いつも多くの人が参拝に来ています。
仏塔(パゴダ)はタイ語で”プラプラーン“といいます。ラーマ 1 世が王室の慈善事業として妹のマハ・チャクリ・シリントーン王女殿下と共にこのパゴダを建立しました。このプラプラーンは寺院の正面に位置し初期のラッタナーコーシン様式の建築で、4方向に黄金の仏像がたたずんでいて、非常に美しい形をしています。ラーマ4世の息子であり歴史家で博学者、王室研究所所長でもあったナリサワ・ヌワッティウォン王子(ナリス王子)はこのプラプラーンはタイで最も正しい形式のプラプラーンであると賞賛しました。後世に建てられたプラプラーンのモデルとなったと言われています。
これはワット・ラカンに奉納されて植栽したチーク材で作られた後宮で、トンブリー王(タクシン大王)が瞑想をするための住居として使用していたと考えられています。前出のナリス王子がこの回廊を見たとき「これはクルン・トンブリー王の王宮だ。その証拠に、かつての宮殿内の部屋を仕切るために使われていた玄関の扉に様々な種類の文字や、瞑想に励む僧侶の姿が描かれており、タクシン大王の好みに合致している」と語られていました。現在は僧侶の住居として使用されています。
本堂の南には経典や写本などが納められている建物があります。3棟の建物からなり、南が就寝寮、真ん中がホール、北塔は応接室であることが分かっています。元々は茅葺き屋根で、現在は瓦屋根に替わっています。軒先にはThep Phanomという仏様が合唱した姿を模した模様のタイルが所々に並んでいます。チーク材でできた格子扉には水やりの模様、コウモリランという植物の模様などさまざまな絵が描かれています。3つの棟は仏教におけるティピタカ(経蔵・律蔵・論蔵)をあらわしています。ラーマ1世の即位前の住居であったとも言われています。
アユタヤ時代から現在に至るまで非常に有名な僧侶です。 多くの人は彼のことを、通称ワット・ラカン・コシターラームのソムデット・トーと呼んでいます。
ソムデット・プッタジャーン・トー・プロムラン師は(元の名前はトー)ラーマ1世の治世、1150年の申年の旧暦5月12日の木曜日(西暦1788年4月17日)に生まれました。彼の母親はヌグド・ケットという名前の普通の村人でした。父親については言及されていません。若い頃は華奢な体型だったと言われていますが、彼はタイの仏教史上、最強の霊力を持っていたとされ、ラッタナーコーシン時代から現代まで信仰厚い人々にタイで最も尊敬された高僧の一人です。ラマ1世によりこのワット・ラカンの住職の座を任ぜられました。1234年申年の旧暦8月2日の土曜日(1872年6月22日)に85歳で亡くなりました。
彼の作ったお守り「プラクルアン」も有名です。タイ全土で売っていますが、ワット・ラカンが発祥の地です。中にはとても高額なものもあり、レンタルする人もいるのです。人々は、ソムデット・トーのお守りを首から下げたり、車のミラーに下げたり、身に着けると所有者は良いことだけを経験し、幸運が訪れ、病気から解放されると信じています。 ただし、街中ではレプリカなども売っています。高額なものもありますし、ご利益があるかはあくまで個人的な見解ですので、慎重に判断してくださいね。
ワット・ラカンはチャオプラヤー川沿いにあります。お寺の中は神秘的な雰囲気です。いわゆる観光地として有名な寺院ではないようですが、このお寺のご利益を信じて多くのタイ人がお参りにきています。人々は涼しい夕方にこの寺院に来るのが好きです。皆さんもぜひ一度来てみてくださいね。
Location : Arun Amarin Road, Siriraj Subdistrict, Bangkok Noi District,...
HUA TAKHE OLD MARKETフアタケー オールド マーケット
フアタケー・オールド・マーケット。元々は「ルアン・フォト・トゥーン・リアム」という名前の木造の古い市場で、ラーマ 5 世の時代にクロン クロコダイル、クロン プラ ティウ、クロン プラウェットという 3 つの運河の交わるこの場所はバンコク郊外の中心地的な場所だったそうです。人々が手漕ぎボートを漕いで農産物や製品を取引し、人の往来も盛んな賑やかな市場でした。しかし、道路が整備されるとこの市場は廃れ始め、何十年もの間、手入れが行き届かないままでした。現在は、再び活気を取り戻し、開発するためにコミュニティが戻ってきており、この場所はバンコク郊外の最も魅力的な観光名所の 1 つとなっています。
昔は周辺にワニが多く生息していたことからフア(頭)タケ―(ワニ)でワニの頭という名前がついたそうです。
この市場では、村人たちの伝統的な生活様式を今でも見ることができます。バンコクにありながら、大都市のテクノロジーブームが入り込めない場所でもあります。週末に訪れると、とても静かです。ほとんどの家も店も閉まっています。土日は休みの店が多いので賑やかな雰囲気を観たいなら平日に来なさい。と地元の店員さんから教わりました。しかし、私が来たのは土曜日だったのですが、それほど寂しい雰囲気ではなかったです。でも、今まで行った他のマーケットほど賑やかではないかもしれませんね。
フアタケーコミュニティに足を踏み入れると、まるでタイムマシンに乗って昔に戻ったような気分になり、村人たちの素朴な暮らしぶりやゆっくりとした時間の流れの中、都会とは全く異なる生活を体験できます。コミュニティー内には、フアタケーオールドマーケット、学校、観光客向けのゲストハウス、そしてクラシックなスタイルが残るコミュニティーで暮らす人々の家々があります。
おもちゃや駄菓子のお店が目に留まりました。誰もが子供の頃、好きだったでしょう。もう一度子供に返ったような新鮮さです。今ではなかなか手に入らない、あるいは忘れてしまったかもしれない古いおもちゃやお菓子たち。このお店はほとんど何でも売っている大きなお店です。2バーツからのかわいいお値段。。 久しぶりに食べた子供の頃のお菓子。以前と変わらず美味しい。
レトロなドリンクショップです。この店では、10年以上前に販売していた清涼飲料水のボトルが飾ってありました。ところで、店主は何歳なんだろう?5555+
シックなコーヒーショップ。 落ち着いた雰囲気の店内には、お客様からのメッセージを書き込めるボードも設置されています。
安いデザート屋さんです。 このカップでわずか 35 バーツです。 美味しいです。
マーケットの端に、IJOI STUDIOというお店があります。ここは、絵を描いて遊べるドローイングスタジオです。お店のコンセプトは「一緒に絵を描く仲間を見つけること」店内はとても落ち着いた雰囲気で、リラックスできます。額縁の大きさによって、99〜199バーツ。すべて絵の具と筆代が含まれており、とてもリーズナブル。絵を描いたりぬり絵を楽しんだり 景色を眺めたり、涼しい風を感じたり。他のお店の飲み物、食べ物も持ち込みできます。お店のオーナーはとても親切です。時間の制限も無いので、自由に満足いく絵を制作してくださいね。ぜひ、旅の思い出に絵を描きましょう!
市場のほぼ終点まで歩いたら、フワタケー交差点のカフェ&ゲストハウスがあります。この辺りは観光客で賑わっています。このカフェの人気はそのスタイルにあります。木造2階建ての古民家です。下のエリアは運河の横でレストランとしてオープンしています。このエリアはかなり広いです。ご飯からデザートまでフードメニューも豊富です。値段も安く美味しいです。
ヤムウンセン(スパイシーミックスサラダ)50バーツ
シーフードのバジル炒め、60バーツ
2階は小さなゲストハウス風の宿泊施設になっています。コミュニティで唯一の宿泊施設です。利用できる部屋は3つほどあり、すべてエアコン付き。室内のインテリアは綺麗で清潔感があります。このベッドは手作りの木でできているそうで、とてもシックな感じです。2人用のこの部屋の値段は800バーツです。とても安いと思います。静かで落ち着ける場所です。
各部屋にオーナーがゲストに書いてもらうためのゲストブックを用意しています。メッセージや 自分の気持ちを絵に描いたり、自由に使ってください。オーナーはそれを楽しませていただいて大切に保管しています。 とてもかわいいです。
このゲストハウスでは、宿泊客が無料で参加できるアクティビティも充実しています。ボートを漕いでゴミを集めたり景色を眺めるアクティビティ。ゲストハウスの5匹の猫:マリ、マカム、スアメク、トンイーブ、ソンパンと一緒にボートに乗って遊ぶこともできます。5555!もう一つおすすめのは朝の托鉢です。お坊さんがボートを漕いで来てくれます。私たちは食べ物などを渡して徳を積みます。しかし、私が行った日は仏教の聖なる日でした。そのため、托鉢はありませんでした。オーナーによると僧侶たちは毎日は寺院の外に托鉢に来ないそうです。お寺に功徳を積みに行く人がたくさんいるから、それほど外に出る必要はないそうです。宿泊しない場合でも有料のボートツアーをご利用いただけます。(宿泊客優先です。)他所でもボートツアーサービスがあります。猫ちゃんたちはついてこないけど。。555猫たちに会いたければぜひ泊まってみてくださいね!
あなたもここに来たら平和な雰囲気を写真に撮りたくなると思います。運河のほとりに木造の家屋が立ち並び、時々村人が手漕ぎボートで移動しています。私はますます昔に戻ったような気分になりました。ゆっくりとした時間、穏やかな雰囲気をぜひ楽しんでくださいね!
フワタケーオールドコミュニティへの行き方:自家用車を利用しない場合は、エアポートリンクをご利用ください。Lat Krabang駅下車。(40バーツ/1人)。その後、タクシー(100バーツ以下)またはミニバス(8バーツ/1人)に乗ってください。Soi Lat Krabang...
スリ・マハマリアマン寺院 Sri Maha Mariamman Temple (Wat Khaek)
サワディーカー!パットです。今日はシーロムの有名なインド寺に来てみました。スリ・マハマリアマン寺院(ワット・ケーク)は、タイで最も大きく重要なヒンドゥー教寺院です。1879年頃に南インドのタミル・ナードゥ州からタイに移住したインド人によって建てられました。元々この土地の所有者Khun Panの菜園でした。その後、3人のインド人が土地を手に入れ、この寺院を建立したのだそうです。寺院はシーロム通り沿いにあり、隣の道はKhun Panの名前からパン通りといいます。この建設により、チュラロンコン王 (ラーマ 5 世)から王権を授り、この寺院はタイにおいてヒンズー教徒の宗教活動の中心地となりました。
最初は小さなパビリオンとして建てられ、その後寺院が建てられ、インドから運び込まれたスリ・マハ・ウマ・テーヴィー(シバ神の妻で慈悲の女神といわれる)の偶像が祀られました。寺院の建築は南インド様式です。仏教寺院とはかなり異なるカラフルな彫刻が美しいです。当時はヒンドゥー教信者だけのための特別な場所でしたが、現在では、人種や宗教に関係なく、すべての人に開かれています。ただし、ヒンドゥー教の原則に従って、寺院に肉の類を持ち込んではいけない。月経中の女性は敷地内に入ることが禁止されている。寺院内は撮影禁止など、いくつかの制約があります。
この寺院は、タミル人、ヒンドゥー教徒の心の拠り所とされています。この寺院の周辺にはインド人が経営する店やレストランがたくさんありタミルの移民街の雰囲気を感じることができます。シーロムに宝石問屋が多いのもこの歴史の影響があるのではないでしょうか。寺院の外では、ウマ・テーヴィー女神に捧げるためのマリーゴールドの花輪や果物を売る行商人がいます。9 月または 10 月にはナヴァラトリというお祭りがあり、女神の像が街中に飾られます。
ナヴァラトリ(サンスクリット語で“九つの夜”を意味する)は伝統の大行列が繰り広げられる年に一度の大切なお祭りでインド人、タイ人の信者やそうでない人も大勢参加します。この祭りは本場インドでは毎年9月から10月にかけての九日間開催されます。その間にウマ・テーヴィー女神と神々が地上に現れ、世界を祝福してくれるとヒンズー教徒は信じているそうです。タイでのお祭りは1日だけです。その日の夜間はシーロム通りと近隣の道路は封鎖され車両は侵入できません。その熱気はものすごいもので、通りは身動きが取れないほどに人があふれます。道には大きな祭壇、食べ物や宗教的な雑貨の屋台が並び、あたりにはインドの甘いお香の香りが漂っています。賑やかな音楽が流れ占い師や祈祷師などもいます。練り歩く行列の中には金属の棒を頬に貫通させたトランス状態の人、赤い粉を沿道の人々に振りかけるシャーマンのような人たちがいます。沿道の人々はご加護を授かろうとマントラを唱え粉を受け止めます。近所に住む人は祭りの楽器の音や人々の歓声で眠れないそうです。初めて見る方はびっくりするかも知れません。こんな独特の奇祭ですが、残念ながら例にもれずcovidの影響で数年開催されていません。次はいつ開催されるのかもわかりません。
お祭りの日以外でも行けばちゃんとヒンドゥー教の体験ができますよ。寺院の横に入ると、ウマ・テーヴィー女神に敬意を表すために、花の台座を購入する必要があります。マリーゴールドの花台は60バーツ、赤いバラの花台は100バーツと、2種類の値段から選べます。そこには花のほかに果物や飲み物などお供え品が乗っています。
花と果物の台座を買った後、管理するスタッフに従い寺院の中に入りお祈りを終え、中に安置されている女神に供物を捧げます。寺院の中にいると、スリ・マハ・ウマ・テーヴィーの神聖さをひしひしと感じます。 自由に参拝できますが、並んで待っていればバラモンのお坊様にお祈りの儀式をしてもらえます。神様のカードと、額にビンディー(赤い粉)をつけてもらえます。ヒンドゥー教では第三の目と言われるもので真実を見極める力がつきそうです。時間があったらぜひやってみてくださいね。
寺院横の通りにある花飾りの店 。作りたての美しい花飾りはこの辺りで買えます。
装飾やお坊さんの服装なども仏教寺院とはかなり違ってました。とても見応えのあるお寺です。内部の撮影禁止のため、写真をお見せできないのが残念です。ぜひこの寺院を訪れてその目でヒンドゥー教の信仰を体験してほしいです。そして周辺のお店で彼らの文化も見てください。それは興味深い旅の経験ができますよ。😊あなたの新しい体験になることでしょう。それではまた!
Location : No. 2 Soi Pan, Silom Road, Silom, Bang Rak, Bangkok
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ムアンボーラン THE ANCIENT CITY (MUANGBORAN-เมืองโบราณ) 
"Ancient city "は古代の都市という意味です。古代は過去、過ぎ去った時間ですが、未来に起こるであろう変化は、過去から続いています。だから、過去の物語を現代の私たちは知る必要があります。タイという国はかつて外国人に「サイアム(シャム)」と呼ばれていました。そして、現在はタイ王国、タイ人、タイ語すべて含めて「タイ」と称されるようになりました。たった80数年前のことです。なぜ、この短い単音節の言葉が、タイの人々の生き方に非常に大きな影響を与えるのでしょうか?元々この土地にあった先住民族、文化の多様性は失われ、"タイネス(タイらしさ) "という言葉の下に姿を消し、飲み込まれてまとめて「タイ」になってしまいました。
古代都市を再現して作るということは、単に観光地としての模型都市を作るということではありません。その地域に住んでいた人々のアイデンティティを伝えるためのものでもあり、歴史、文化、過去の人々の生活様式を反映したものです。
ムアンボーランは1963年にサムットプラカーン県の総面積約128万平方メートルの土地に建設されたテーマパークです。創設者はレック・プラパイ・ウィリヤパン氏です。地図で見ると、古都の全域が斧の形をしていて、タイの地図と似ています。タイの土地そのままの形を縮小した「野外博物館」なのです。
そこにはタイの美しく貴重な建築のレプリカが数多くあります。実物を解体して移したもの、大きさを縮小して建てたもの、知識を生かして新しく作ったものなど、さまざまです。訪れる人はタイ全土の4つの地域から集められた多くの美しい建築物に驚かされることでしょう。 タイ全土を旅しているような感覚です。 そして今日はその中でも見逃せないスポットをご案内します。
The Great Hall Of Vajra Dhamma
本堂には、28体の前世の仏像と、彼の未来の姿とされる10体の仏像が安置されています。また、本堂の周りには、12星座のパゴダ、生まれ年を表すパゴダ、平和を願うモニュメントなどの建築物があります。パゴダを頂点とする城郭のような形の建物で、アユタヤ時代後期の建築様式を見ることができます。
The Old Market Town
オールドマーケットの街並みは、旧市街のコミュニティの雰囲気を再現しています。そこには物質的なものと精神的なもの、両方の施設があります。生活必需品を売る店、娯楽施設、礼拝所、神社や領主の住まい、さらに邪悪な場所なども。どれも地域の人々が自分の生き方に従い、他の人たちと仲良く暮らす上で重要な役割を担っています。オールドマーケットを訪れると、過去の鮮やかな思い出がよみがえります。しかし、Covid-19が流行する以前のように、観光客は多くないため、まだ寂しい雰囲気が漂っていて開いている店も少ないです。
Sanphet Prasat Palace, Ayutthaya
サンペットプラサートパレスはアユタヤ時代初期に建設されました。それまでのクメール様式やスコータイ様式とは明らかに異なる独自のアユタヤ建築様式の主要な宮殿です。しかし1767年アユタヤがビルマに陥落した時に残念ながら荘厳な宮殿は焼け落ちてしまいました。アユタヤに現存しているのは隆起した地下のレンガ部分のみですが、タイ人や外国人の考古学者などが歴史的証拠に基づいてこのムアンボーランに再現したのです。おかげで現代の私たちも当時の宮殿を見ることができます。
The Phra Kaew Pavilion
プラケオパビリオンはアユタヤ時代のホープラケオをモデルにしています。八角形の塔のような形をしていますが、これはアユタヤ時代のプラ・ダーモ・キャビネットの扉の彫刻からムアンボーランが模倣して作り上げたものです。実物はバンコクの国立博物館に保存されています。建物内部には、エメラルド仏が祀られており、仏陀の歴史の絵など、仏教の物語に関連した装飾や大きな木製の仏像を見ることができます。プラケオ廟は、かつてのアユタヤの宗教的中心地であったことを象徴しています。
Prang Sam Yod, Lop Buri
ロッブリー県中心部にあるプラーンサムヨードは3つの尖塔からなるクメール様式の影響を受けた13世紀に建てられた寺院です。3つの尖塔にはそれぞれ違う仏像が納められています。ラテライトで作られたレプリカは見事に再現されています。
Hor...
サンペン市場
こんにちは。今日はヤワラート地区(チャイナタウン)にあるサンペン市場をご紹介します。
お土産物や雑貨、生活用品などの卸売り市場です。タイ全土の多くの小売店がここに仕入れに来ることで知られています。私や皆さんもここで買い物ができますが、 卸売りがメインとなりますので、お安く購入するためには最低3個以上の購入が必要となります。 こちらの市場は狭い路地にもお店が建ち並び、写真のように人が多く非常に混雑しています。スリ被害の恐れがありますので、散策する際はバッグには十分注意してくださいね。
小売店が販売する商品を仕入れに来る市場なので価格は大体普通のお店の半額くらいでしょうか。早朝はさらに安い価格で購入することができます。 サンペン市場は2つの時間帯で営業しています。 夜中の午前2時から早朝午前7時頃まで、また午前8時から午後5時まで営業します。
帽子やバッグを販売するお店です。 手頃な価格のため、製品の品質はあまり良くありません。 しかし、それほど粗悪品でもありませんよ。ただ耐久性はあまり良くなく長持ちしないことはあります。
ここでは、ヘアアクセサリーをたくさん売っていて、とても安く買えます。3つ以上購入する必要がありますが、それぞれ10~20バーツです。
手作りの商品も販売しています。たとえ一点しか買わなくて、卸売りの価格にならなくても他のお店より十分安く購入できます。 しかし、そんなに種類は多くないかもしれません。
保温・保冷用タンブラーもここではお安く買うことができます。最近タイでもプラゴミ削減の意識が高くなり、Myタンブラーをコーヒーショップに持参する人も増えました。お店では100~200バーツするものもありますが、ここではそれぞれわずか70バーツ。たくさんのデザインがあるので選ぶのが楽しくなります。
この店は生地をメートル単位で販売しています。洋裁用の生地を欲しい長さにカットして売っています。生地だけではなく、ビーズ、ボタン、ワッペン、リボンなど手芸用品も安く手に入ります。手作りや手芸好きの方は材料を安くたくさん買えますよ。
ここにはマスクがたくさん売っていることも言っておかなければいけませんね。ぶらぶら歩いていると道の両側に、マスクショップがありました。この場所はとても安く売っていたので私も購入しました。50枚入りのパックがなんと45バーツでした。最近やっとマスクも価格が安定してきましたが、バンコク街中のお店では安い物でも100バーツ以上はするようです。45バーツはかなりお得ですよ。 しかし、50~60バーツで売る店もたくさんあって値段も色々でしたので、よりお得な物を手に入れるためにゆっくり歩いてじっくり探して見てください。:)
日本でも同じような状況かわかりませんが、タイでは COVID 19の流行から外にいる間はいつもマスクを着用しています。 しかし、タイの人々は危機をビジネスチャンスに変えました。 たとえば、あなたがオフィスにいる時、または食事に行った時などマスクを外す必要がある場合です。外したマスクを置いておくのは衛生的に良くなかったり、マスクを外したまま忘れてしまったり無くしてしまったり。 そこで、彼らは美しいカラフルなビーズなどを何百個も使って、首にマスクを掛けられるストラップを作りました。眼鏡ストラップのマスク版ですね。 まあ、これで私たちはマスクを忘れなくなりますよね。
ここまで読んで下さったあなたはこの市場に興味がありますか?ここで買い物をしたいですか?タイに来る機会があれば是非サンペン市場に足を運んでみてください。 きっと、自分用の可愛い雑貨やあなたの友人や家族へのお土産を見つけることができますよ。最後にもう一度。買い物に夢中になりすぎて盗難にあわないよう、バッグはしっかりと持っていてくださいね。
MRT(地下鉄)で来ることができます。ワットマンコン駅で下車。スクンビット駅からだと料金は30バーツ。
到着したら、1番出口を出ます。駅からサンペンマーケットまでの距離はわずか400メートルです。
Location : Samphanthawong District, Bangkok, 10100
Time : Open Tuesday to...
タイの西洋医学の歴史を知る!ベルリン薬学博物館 [Berlin Pharmaceutical Museum]
本日はまたレアな博物館を紹介するよ! 淡い黄色のこのヨーロッパ風の建物が、ベルリン薬学博物館です。ナンクラオ王(ラーマ3世)の治世の初めに遡り、タイの西洋医学の歴史を学びます。この小さな博物館はチャイ・チェイヌワット博士を記念して建てられたもので、チャイ博士は1932年にベルリン調剤薬局という患者を治療する個人診療所を開設しました。
ベルリン薬学博物館の内部には、中国からシャム(当時のタイの国名)に移住した華僑のチャイ・チェイヌワット博士の生涯の物語が展示されています。家族は裕福ではありませんでしたが、生活の質を向上させるのに役立つ教育の重要性を認識していました。そのため、彼は奨学金を受けて勉強し、上海にあるドイツ医科大学を卒業するまで、熱心に医学を学びました。そして、父と母への恩返しとタイの国のために大学からのオファーを断り、シャム(タイ)に戻りタイの人々を治療するために学んだ知識を持ち帰ることを決意しました。 ドイツ人の先生に感謝の意を表すためにベルリン調剤薬局という名前で開業したのです。
この博物館では、チャイ博士の家系図と歴史、小さな診療所から製薬会社へとなり、近代的な製薬工場を持つベルリン製薬工業株式会社になるまでを年代順に紹介しています。
タイに戻ったチャイ医師は、患者を治療するためのクリニックを開設しました。これは中華街の近くのジャルンクルン - ヤワラート通りエリアで最初の私立クリニックの1つと考えられています。一般患者を治療する場所は、知識を教えてくれたドイツ人教授を称え「ベルリン薬局」と呼ばれています。患者の記憶に残るチャイ医師は、患者の治療に専念する人でした。治療費が無料になることも多かったそうです。親切で正確な診断スキルがあり、優れた薬の処方を持っていることを含め、チャイ医師の評判は中国人の間で広く知られていました。
チャイ医師は建物の2階全体を診察室兼オフィスとして使っていました。2つ目の展示室は模擬実験室です。実際に使用されていた医療機器が展示されています。診察台、ベッド、ドイツの医学書などもあります。
次の部屋は薬剤室です。ベルリン製薬会社の原点であるチャイ医師の製薬事業の雰囲気が感じられます。医薬品の製造機械が展示されています。チャイ医師が作っていた昔の薬、最初の頃はほとんどが液体でした。薬を徹底的に粉砕し、抗生物質や解熱剤など、患者が水に入れて自分で飲むように、計量して分包していました。
チャイ医師は、人生の大半を患者の治療に捧げてきましたが、年を重ねるにつれ、家族のために安定した生活を送ることを考えるようになりました。1954年、彼は同じ建物にベルリン医薬品販売有限責任事業組合を設立しました。起業当初は赤字の連続でした。しかし、良い薬を適正な価格で提供することが、いつか成功するという信念を持っていました。その結果、チャイ医師と彼の家族は、患者の治療とともに医薬品の製造、製薬事業に専念するようになりました。
最初に製造された薬には、ネオトニン、ベルリンバーム、食欲増進作用のある医薬品ブランドの「フルートを吹く天使」、黒い咳止め薬、フストニンなどがありました。チャイ博士の医薬品販売事業は徐々に成長しました。現在もベルリン薬局の医薬品は同社によって生産および管理されています。ベルリン製薬工業株式会社は、国内有数のジェネリック医薬品の製造販売業者です。
生産速度:毎分250錠。ドイツ、ベルリン製。1969年購入。
この博物館は小さな教育リソースです。すべて観るのに30分もかかりませんでした。 見学を終えてベルリン・ミュージアム・カフェ(Berlin Museum Cafe)で一休みしました。飲み物や軽食を提供していて、入場券を提示するとカフェの飲み物が10%割引になります。ベルリン薬学博物館でのチャイ博士の物語は、彼の成功の要素を明確に示しています。ぜひ親子でも訪れていただきたい場所です。
*** ベルリン薬学博物館***
開館時間:火―日(月曜日は休館)午前8時30分~午後4時30分 MRTワット・マンコーン駅3番出口を出て、右に曲がり200メートルほど。(徒歩約5分)
所在地:359 Charoen Krung Road, Pom Prap Subdistrict, Pom Prap Sattru Phai District, Bangkok.
https://maps.app.goo.gl/1Y6UFq2VUFocSXBfA
[ラーマ6世の愛した都会の中の離宮] Phayathai Palaceパヤタイ宮殿
サワディーカー!パットです。 本日ご案内するタイの名所は「パヤタイパレス」です。 この宮殿がある「ラチャウィティ通り」は約100年前にチュラロンコーン国王陛下 (ラーマ 5 世)がサンヒー通り(現在ではサンギと呼ばれることが多いが、これは中国で 「とても喜ばしい 」という意味の縁起の良い言葉である)と名付けました。その後陛下の治世中に「ラチャウィティ通り」という新しい名前になり現在に至ります。 サンヒー通りの終点には刈りたての菜園や畑が広がり、そこをサムセン運河が流れているので開放的で空気も心地よい場所でした。
パヤタイパレスまたはワンパヤタイとも呼ばれるこの宮殿は穀物を植える実験場や、王室の戒律を守るための休憩所として使用するためにラーマ5世のご厚意により、田んぼだった100ライの土地を購入するよう命じられました。そして陛下がこの田んぼの丘を訪れた際に、過ごす場所として1909年に宮殿が建てられました。そこから陛下は頻繁にパヤタイ宮殿に滞在するようになりました。最後に訪問されたのは1910年10月16日で陛下が崩御される1週間前のことでした。ラーマ5世の崩御後、妻であるスリ・パチャリントラ王女殿下が、ラーマ5世の近親者や同世代の人々とともに、約10年間パヤタイ宮殿に滞在しました。
それはラーマ6世の治世まで続き、ラーマ6世は元の宮殿の一部を取り壊し改装するよう命じました。その後、ラーマ7世の治世に、ビジネスのためにサイアムを訪れる外国人に便宜を図るため、一部を「パヤタイ・パレス・ホテル」という一流ホテルに改装しました。高級ホテルに分類され、「東洋一」と称賛されていました。また後にラジオ放送局の所在地になったり、タイ王国陸軍の医療司令部が置かれたり(後のプラモンクットクラオ病院)現在に至るまでさまざまな用途として使われてきました。現在のパヤタイ宮殿は一般の人が訪れることができる博物館として整理されています。私たちは宮殿の内部を見に行きました。
見学前に見学チケットを購入します。 入場料: 大人60バーツ シニア(60歳以上)30バーツ 子供(10~14歳)10バーツ (追記:外国人観光客も同料金)
チケット購入後、待合室で宮殿見学のルールなどを説明されます。いざ出発。
元々パヤタイ宮殿の 3 つの王室公園のうちの 1 つで、王族の憩いの場であったと考えられています。景観は幾何学的でローマ建築様式を用いた庭園パビリオンです。中央の丸いパビリオンには、コリント式の柱に支えられたドーム型の屋根があります。その両側には、長方形で屋根のないパビリオンがあり、ドームと同じような柱が上部を横切る梁を支えています。ローマ風の大理石の置物で飾られています。正面とつながる階段エリアには大きなプールがあります。プールを囲む広い歩道がパビリオンとつながっています。このパビリオンは野外公演の舞台として使用されることもあります。
ピマーンチャクリー宮殿の西側に位置し、ラーマ6世が建設を命じた宮殿です。チーク材の2階建てで、屋根は粘土瓦で作られています。ラーマ6世が1920年8月22日から一時的に滞在し、仕事場として使われていました。宮殿の中にはラーマ6世が散髪をし、入浴する場所があるのも特徴的です。
ピマーンチャクリー宮殿の西側にあります。王族の接待に使われていました。天井と天井近くの壁には花柄のアールヌーボー様式の模様があしらわれており部屋の天井には西洋風の羊飼いの男女と羊の絵が描かれています。
パヤタイ宮殿で重要なもののひとつが、ラーマ6世の治世に建てられた民主主義都市のミニチュアであるデュシタニ(天国の都市)です。ラーマ 6 世は、1エーカーの土地に民主的な統治を試すためのモデル都市の建設を命じました。そして実際そこに人も住んでいました。しかし現在このミニチュア都市は残っておらず、その模型がこの部屋に展示されています。
パヤタイパレスの中央に位置し他の宮殿建物につながっています。退位された国王が過ごしたり、食事をする部屋があります。拝謁の為の部屋があり、ラーマ6世の肖像画と暖炉があつらえられています。南国タイで暖炉を設えたのはラーマ6世のヨーロッパ風装飾へのこだわりでしょうか。
浴室も完備し、内部は乾式石膏技法による美しい天井模様と絵画で飾られています。パヤタイ宮殿がパヤタイホテルに改装された後、ピマーンチャクリーホールの2階にあるこの国王の寝室は、ベッド2台、バスルーム1つ、扇風機や電話などのアメニティを備えた豪華なマスターベッドルームに改装されました。当時料金は1泊100バーツでした。現在の価値だと8万円くらいでしょうか。(価格は昔のお金の価値に基づいています。)当時としては豪華なホテルでしたね。
2階のドームの下の部屋です。金色の模様が入った白いキャビネットの本棚が上品で素敵です。
王の寝室(ロイヤル・スイートルーム)
ラーマ6世は、新しい寝室を造るため、ワイクン・テパヤサターン・ホールの3階を増築しました。彼は部屋の換気に特に気を配り、新鮮な空気が部屋に入るように特製の折りたたみ式のカーテンを設置させました。また天井の換気口は、夏の暑さをしのぐのに役立ちました。フレスコ・セッコの天井画には、楽器を演奏する4人の若い天使が円状に描かれています。後のパヤタイ・パレス・ホテルには4つのスイートがあり、このワイクン・テパヤサターン・ホールの3階にある部屋がロイヤル・スイートで最も豪華で、1泊120バーツでした。
この宮殿は正面にあります。特徴的なビザンチン建築の影響を受けておりドームがあります。中央は4つのフードを備えた湾曲した屋根で支えられています。壁の上には人物と植物の模様が描かれています。かつては王室の儀式の場でした。誕生日のお祝いや王室の慈善行事や宗教的な儀式、王室の来賓をもてなすために使われたり、時には劇場や映画館として使用していました。
カフェ・ド・ノラシン
ラーマ6世の治世末期に建てられた100年以上の歴史があるタイで最初のコーヒーショップです。当時は商人、外国人、王室衛兵の間で人気の店でした。甘いデザートや風味豊かな料理など王室の厨房レベルの美味しさでしたが、ラーマ7世の治世初期に廃業しました。その後、パヤタイ宮殿保存財団がラーマ6世の時代のカフェの雰囲気を再び体験できるように修復し、2010年8月1日に正式にオープンしました。装飾には初期のラッタナコーシン時代の建築と西洋文明を融合させています。家具はすべてクラシックなスタイルでラーマ6世時代のものを模倣しています。このレストランに来れば誰でも、まるで宮殿で食事をしているような、贅沢な気分を味わうことができます。
パヤタイパレスは古い宮殿で、思い出の場所であり、昔の文化を学ぶ場所でもあります。まだ見学用に一般公開されていない部屋もたくさんあるのですが、現在見ることができる部屋や庭だけでもいにしえの美しい芸術と当時の雰囲気や王室の品格を私たちに伝えてくれました。タイの王室や昔の文化に興味のある方はバンコク観光の際、ぜひ立ち寄ってみてくださいね!
パヤタイ宮殿はラチャウィティ通りのプラモンクットクラオ病院内にあります。電車で簡単かつ安価に移動できます。BTSスカイトレインに乗って、ビクトリーモニュメント駅で下車します。その後、ラチャウィティ通りに沿って病院まで少し歩きます。
毎週土曜日と日曜日に見学できます。午前9時30分と午後1時30分にガイドによるツアーがあります。1日2回見学できますが、1回のツアーは定員30人です。 ※ガイドなしの見学はございませんのでご注意ください。
Location : 315 Ratchawithi Road, Ratchathewi District, Bangkok
Open : Saturday...
パイナップル炊き込みご飯Pineapple Cooked Rice (カオ・オップ・サッパロットKao aop supparot -ข้าวอบสับปะรด)
サワディーカー!パットです。 みなさんはウォルト・ディズニーが特別に制作したショートクリップ、「Our Floating Dreams」をご存じですか?タイの水上マーケットを舞台にパイナップルチャーハンの誕生をディズニーキャラクターの可愛いアニメで紹介したお話で2019年6月22日に全世界に配信されました。
カオ・オップ・サッパロットの上に寝転ぶミッキー&ミニー
https://youtu.be/83sdwFOL1r8
この面白くてかわいらしいパイナップルチャーハンの起源の物語は、多くのYouTuberの話題となり、タイ料理をトレンドにしてくれて観光振興にも貢献してくれたのです。この動画をみて水上マーケットを訪れたり、パイナップルチャーハンを食べてくれる人が増えました。タイ語がわからなくても、楽しめる動画ですよ!
アジアンベーシックの一品である「カオ・オップ・サッパロット」は、カオ=ご飯 オップ=蒸す サパロット=パイナップル。その名の通り、肉や海老や蟹を入れ、ソースや様々な調味料と混ぜて味付けした蒸したご飯にパイナップルなどのトロピカルフルーツを入れます。レシピは様々ですが、カレー粉で炒めるものもポピュラーです。南国の雰囲気を感じる美しい見た目、甘くて、少し酸っぱい、ジューシーな口当たりの料理です。
カオ・オップ・サッパロットのルーツを探ってみましょう。 カオ・オップ・サッパロットは、タイで生まれてから100年も経っていない新時代のメニューです。しかし、パイナップルやバナナ、マンゴー、スイカなどの果物と一緒にご飯を食べる食文化は、古代からありました。タイ人は昔、夏になるとご飯にフルーツを添えて食べていました。タイは米が主食の食文化ですし、果物も豊富です。高温多湿の気候の中、涼をとるため米と果物を一緒に食べていたのではないでしょうか。元々タイに住む中国人が作ったとされるパイナップルチャーハン。酢豚にパイナップルを入れたりもしますよね?その文化の融合と応用で、カオ・オップ・サッパロットというメニューができました。その後、タイを旅行した欧米人が、このメニューに興味を持ち食べてみたところ、この料理の味とユニークさにはまって、タイによく来る外国人の人気メニューにまでなりました。
カオ・オップ・サッパロットの歴史はとても興味深いですよね。では、今日はこのメニューを3店舗で味わってみましょう。さあ、行ってみましょう。
1. Rim Bung Restaurant (ร้านริมบึง)
このお店は20年以上前から営業している古いお店です。大きな池があってなかなか雰囲気が良いです。そして、料理の種類も多く、とてもリーズナブル。このお店のカオ・オップ・サッパロットは200バーツです。色、見た目はなんだか味気なさそう。入っている具材が値段に見合ってない感じです。食べてみると、予想通り当たり障りのない味でとても淡白でした。その割には値段が高い印象です。
Location : 368/2 Soi Ratchadaniwet, Ratchadaphisek Road, Bangkok (near kindergarten near the embassy of Bhutan). Contact to reserve...
ワット・ ロン スア テン (ブルー テンプル) チェンライの青い寺 Wat Rong Suea Ten (Blue Temple)วัดร่องเสือเต้น
サワディーカー!パットです。今回はチェンライ旅行で訪れた有名な「青いお寺」をご紹介します。チェンライはミャンマー、ラオスと国境を接するタイ最北部の県でバンコクから飛行機で1時間半ほどの場所です。独自の文化や美しい寺院があり、自然も豊かで人気の観光地でもあります。
今日訪れたのは「ワット・ロンスアテン」別名「ブルーテンプル」というお寺です。 かつて、この場所は約100 年前に廃寺となった寺院の跡地で、人家なども無く、野生動物、特に虎がたくさん生息していたそうです。この辺りを通る村人は、虎が寺院跡の水路を飛び越えて往来している姿をよく見たということです。その跳ね回る姿が踊っているようにみえたそうで、この地域は「ロン・スア・テン」と呼ばれています。ロン=水路 スア=虎 テン=踊る という意味です。 同様に近くの村も踊る虎の村という名前がついています。この村にはお参りをするお寺がなく、他の村のお寺まで行かなければなりませんでした。そこで村人達が廃寺を修繕し、功徳を積むための場所、心の拠り所、重要な日には宗教的な儀式を行う場所としました。
"ワット・ロンスアテン "は、チェンライ出身のアーティスト、プッタ・カブケウ(サラノック)氏によって制作されました。彼が大学を卒業した時に、"ワット・ロンクン(ホワイトテンプル)"の建築でチャレムチャイ氏の弟子として学ぶ機会を得ました。(ワット・ロンクンもチェンライで有名な白いお寺で、チャレムチャイ氏も地元のアーティストです。)この機会にその色と美しさが際立つ寺院の建築を学び、後にこの青い寺院を建てたのです。
このお寺に来てまず目を引くのは、"ヴィハーン・ロンスアテン(本堂)"です。2005年10月27日に着工し、そこから11年かけて2016年1月22日に幅13メートル、長さ48メートルの仏堂が完成しました。目立つのは、美しく印象的な青青とした色調、金色とのコントラストが他のお寺と違った個性を作り出しています。本堂の青い色は、世界中に広がったブッダのダルマ(法)を表しています。これは、澄んだ空のように"原因と結果に従って真実がある"という教義です。
そして特筆すべきは本堂に祀られている"プラ・ブッダ・ラチャモンコン・ボディ・トリ・ロカナート"と名付けられた仏像の美しさです。真珠のような白く輝いた仏像で幅5メートル、高さ6.5メートルです。
寺院の裏には"Phra That Ket Kaew Chulamanee Five Buddhas" と呼ばれる 高さ20mの仏塔があります。頂上には仏舎利が納められています。
もしチェンライを訪れる機会があれば ぜひこのカラフルな寺院を訪れることをお勧めします。この珍しい青色の美しさに加え、仏教や神話をモチーフにした繊細な彫刻や壁画の素晴らしさ、建築技術も目を見張るものがあります。私は平日の朝早く来たので人は少なかったのですが、たまたま訪れていたオーストラリアからの旅行者夫婦に、このお寺についてどう感じているか聞いてみました。彼らはこの寺院を建てた人たちの想像力と感性に驚いていました。😊 私もそう思います。
まだタイも本格的に観光客は戻ってきていませんが、近い将来、このワットロンスアテンやチェンライはタイ人、外国人を問わずに多くの観光客が集まる場所になると思います。 皆さんのお越しもお待ちしていますね!それでは、また!
Location : 306 Moo 2, Mae Kok Road, Rim Kok Subdistrict,...