Thai Rice Noodle

第2弾!タイの麺(ก๋วยเตี๋ยวクイティアオ)の美味しい店をご紹介! 

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サワディーカー!パットです。 今日はタイを代表する食の文化、タイの麺料理「クイティアオ」の第2弾!レポートです。 どこでも気軽に食べられるクイティアオを皆さんに知ってもらいたいです。中でもタイ人の間で有名な美味しいヌードルショップを紹介するよ。どんな店があるか見てみましょう!  1.Long Leng Fish Ball Noodles.(ロンレン フィッシュボール ヌードル)  このお店がある賑やかなバンタットン通りといえばバンコクでも有名なグルメストリート。レストランがたくさんあります。この麺屋を見落としている人も多いかもしれません。しかし私にとって、バンタットン通りに来たら真っ先に思い浮かぶのがこの麺屋さんです。このお店は、50 年以上も続く伝統のあるお店です。6年連続でミシュランを獲得するなど、品質とおいしさはお墨付き。熱々のスープは味がよくしみていて、フィッシュボール(魚のつみれ)もとてもおいしいです。 価格: 1 杯 70 バーツ、スペシャル 80 バーツ。価格は他所と比べて高いように思いますが、品質、味にはそれだけの価値があります。  場所: Banthat Thong Road, opposite Soi Chula 22(ソイ・チュラ22の向かい)  営業時間: 17:00 - 23:00  https://maps.app.goo.gl/mRq7FbY5Wue5XvWR9 2....

森と池に囲まれた洞窟寺院で瞑想して心をリセットしよう! U-mong Templeワット・ウモーン(チェンマイ) 

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チェンマイには、観光客を魅了する美しい自然があるだけでなく、美しい寺院もあります。そして、他のどこにもない独自のアイデンティティを持っています。 今日は700年以上にわたってチェンマイ市と共に歩んできた古代の重要な史跡である場所を紹介します。  ワット・ウモーン(正式名称:ワット・ウモーン・スアン・ブッダータム)は、チェンマイ県ムアン郡ステープ通り、ドイステープの山麓にあります。ランナー王朝の創始者マンラーイ王により1297年に建てられたもので、今日まで数えると約700年以上になります。森の中にあり、多くのトンネルがあることからユニークな場所として知られています。 ウーモンはタイ語で「トンネル」の意味です。その名の通り、この寺院の見どころは寺院の中にトンネルがあることです。このトンネルは自然のものと人工のものがあります。ワット・ウーモンのトンネルが特別なのはその機能にあります。このトンネルで僧侶たちがヴィパッサナー瞑想を実践したり、ダルマの教えを学んだりするために設計されたものだからです。タイには多くの寺院がありますが、このようなトンネルはここでしか見られません。 そして現代は僧侶だけではなく、一般のみなさんもここで瞑想やリラクゼーションを体験することができるのです!宿泊する瞑想プランもあります。  トンネルの頂上には700 年前のランナー芸術のパゴダ(仏塔)があります。この寺院は、かつて廃寺となった時期がありました。そのため寺院内に史跡はあまり残っていません。残っているものの中で最も重要なひとつがこの仏塔です。階段を上って丘の上にある仏塔へ行きます。  寺院の周りの森には餌を待つナマズ、アヒル、鳥、カメがたくさんいる池があります。敷地内の売店で餌を買うことができます。  ワット・ウモーンは「時の流れはすべてのものに衰えをもたらす。すべてのものは時間の結果として失われていく。それを記憶や写真という形で記録し、かつて存在したことを忘れないようにし、後世に伝えていくことが私たちの仕事なのです。」という考えのもと、若い僧侶を教育し、学習と啓発を中心とした仏教の教えの保存と普及において重要な役割を果たしています。寺院の瞑想プログラムは地元の人も一般の観光客、外国人も参加することができます。チェンマイを訪れたら瞑想がもたらす平安と静けさを体験してみましょう。 森と池に囲まれた圧倒的な美しさと静けさの中で心がリセットされます。 私も良いエネルギーをもらって驚くほど穏やかな心が戻ってきました。  *** ワット ウモーンへの行き方 ***  赤いミニバスに乗ってください。料金は100-200バーツ(値段は交渉次第)。 私は宿泊していたホテルから Bolt (タクシー)サービスを利用して歩いてここまで来ました。料金は 80 バーツでした。  Location: 135 Village No. 10, Suthep Subdistrict, Mueang District, Chiang Mai Province MAP: https://maps.app.goo.gl/5fxjkVpAYNjWxe8T8  Tel: 08-8404-1168  営業時間: 毎日午前 6...
The Lanna Tradition House Museum

チェンマイに行ったら伝統的なランナーの文化と家屋を見に行こう! The Lanna Tradition House Museum ランナー伝統家屋博物館≪チェンマイ大学芸術文化振興局≫ 「ピピッタパン・ルアン・ボーラーン・ランナー」 

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サワディーカー!パットです。 今日はチェンマイにある博物館を紹介するよ!  この博物館は、チェンマイ大学芸術文化振興局内にあります。研究に値する様々な形態の古代ランナー家屋を後世に伝えるために展示・保存しています。各家屋は、ランナー家屋の価値と重要性を認める様々な機関や個人から移築・保存の支援を受けた古代家屋です。 現在、博物館には10棟の家屋と4棟の納屋があります。それぞれの家屋は100年ほど前の民家で独自の起源と歴史があります。過去の職人の知恵を保存し、研究する価値のある文化遺産です。ここはランナー建築と生活様式を研究・調査する場所であり、チェンマイ県の貴重な文化的観光名所の一つです。  昔、タイ北部の人々がどのように家を建てて住んでいたのか、それぞれの家を訪ねてみましょう。  1.コロニアルハウス –ケリペル家  西洋建築の影響を受けた建物で17世紀から18世紀の植民地時代の家屋としてコロニアル様式と呼ばれています。かつてイギリス人貿易商のアーサー・ライオネル・ケリペル氏が所有していた家屋を保存したものです。1926年頃に建てられたラーマ5世の治世中に人気となった住宅建築の特徴があります。ケリペル氏は、ボンベイ・ビルマ貿易会社の英国人役員でした。ボンベイ・ビルマ貿易会社は、ビルマとタイ北部のチェンマイ、ランプーン、ランパーン、プレーの各県で森林伐採権を取得していました。ビルマ人労働者の作業を監督するためにやってきたイギリス人官吏の多くがチェンマイ県に自分の住居を構えました。ケリペル氏もその一人でした。  2.チェンマイ市民の家―パヤ・ポン・ランカ家  チェンマイ市街地にあったローカルハウスを移築しました。当時の富裕層の家の一例です。2つの切妻と破風があるツインハウスのように見えます。高床式のこの家の構造は柱と梁で成り立っています。元の持ち主は、パヤ・ポン・ランカとナン・カムンでした。この木造家屋はちょうど1296年にランナー王朝の首都として建設されたチェンマイ市の600周年の1896年頃に建てられました。この家はとても貴重です。所有者はこの家をできるだけ長く保存したいと考えています。  3.カラエハウス – ウイ・パッド(パッドおばあちゃんの家)  双子のような家が南北の軸に沿って配置されています。2つの家の屋根が樋でつながっています。「カラエ」という言葉は、「交差」または「重なり合う」という意味の「カラン」という言葉に由来していて、切妻の上部にある特徴的な木彫りが「カラエ」です。この家の元の所有者は、チェンマイ県チョームトン郡パプルー地区出身のウイ・パッド・ポッタです。この家は80年以上前に建てられたと推定されています。すべて木造の高床式住宅です。家の大きさはコンパクトに見えます。幅は約7メートルです。  4.プルアンプークハウスー伝統的なランナーの竹の家  ランナーの伝統的な竹で建てられた小さな家です。少し高床式です。昔はこのような家は庶民が自分達で建てたものでした。竹を切って組み合わせて家の構造を作り、釘で固定します。木の柱の場合もありますが、全体的には屋根の構造など、家の構成要素のほとんどは竹で作られています。屋根や床はわらで作られています。また、このタイプの家は新しい家族を築く夫婦にも適しています。お金を集める前に一時的な宝物庫として建てられることがよくあります。そしてさらに家を拡張する際に木を使うことがあります。  5.カラエハウス - パヤ・ウォン家  こちらもカラエハウスです。2つの家が樋を接して建っているのがカラエハウスの特徴です。家の前の軒下のエリアは仕事とくつろぎのエリアです。柱と梁の構造でチーク材で建てられています。この家の所有者は、ランプーン県パサン郡パクボン地区バンソップターの村長です。1897年頃に建てられた家です。三世代に渡って住んだ後、プラ・プッタバット・タク・パーのプラクル・ウェルワンピタク僧侶が買い取り、解体し、ランプーン県パサン郡ナコンチェディ地区バンメーアオのスワンウィハン寺院に再建されました。その後、シンガポール人のハリー・ウォン氏が購入し、彼の没後、ウィニット財団 - クニン・パニー・ウィニッナイパク博士がこの家の再建を支援し1998年にチェンマイ大学に寄贈しました。  6.タイ北部の家 – ウイ・ケーオ家  この家の構造も柱と梁で支えられています。このタイプの家は高さが約1メートルと低いため、木材を節約できます。釘を使用して構造物を固定することがより一般的になった時代でした。釘の使用でより早く建設することができました。元の所有者は、サントクト地域の村人であるインおばあさんとケーオおばあさんです。70年以上前の第二次世界大戦中に建てられました。取り壊される前にウィティ・パニチャパン教授が京都精華大学の矢ヶ崎財団の支援を受けて、1987年に家を購入しました。インおばあさんは引っ越しましたが、ケーオおばあさんは1997年に亡くなるまで生涯愛する家に住み続けました。その後、この場所に移築されました。  7.タイ・ルー・ハウス – モン・トゥード家  建築材料はすべてチーク材です。この家はもともと、チェンマイ県ドイサケット郡ルアンヌア地区のタイルー族出身のトゥード・ バイスカン(モン夫人)のものでした。そのため、この家は別名「ルアン モントゥード」と呼ばれています。この家は 1917 年に建てられました。チェンマイ県ドイサケット郡バン パ カンの古い木造家屋から集められた木材を使って建てられました。その時、3 頭の象と牛を使って木材を運ばせ家を建てました。寝室とキッチンがある美しくシンプルな形の平民の家のモデルです。当時を思わせるタイらしい生活用品や小物などが飾られていました。  8.メーテーン民族家屋  この家のスタイルは、すべて堅木で建てられた2つの切妻屋根を備えた家です。高床式住宅で家の前と後ろの両方に階段があります。構造は柱と梁です。ダボに穴を開けて組み立てます。元々はノイピンの家でしたが、カーンタカム夫人に受け継がれました。チェンマイ県メーテーン郡チョーレー地区バンパパイに1917年頃に建てられ、ジャンポット・パンティップ財団の支援を受けて2008年に移築されました。  9. パンヤハウス – アヌサーン・スントーン家  このスタイルは、ビクトリア様式やヨーロッパの影響を受けた家屋です。ヨーロッパのスタイルをこの熱帯気候に適応させて建てています。宣教師やイギリスの木材商人、そしてバンコクの知事によって持ち込まれたスタイルです。建築技術はより現代に近いものになっています。建設ツールも現代的になり、木材を切断して角柱、梁構造、垂木、壁を作るのがスムーズになりました。組み立て、木材を接合するのもより完璧です。構造を保持するために釘とナットを使用することで、より便利になり、建設時間が短縮されます。元々は、1924年頃にルアン・アヌサーン・スントーンとカムティアン・チュティマ夫人が息子のヨン・チュティマ博士のために建てました。チャン・クラン通りのアヌサーン・スントーン市場エリアにあり、後に相続人がこの家をチェンマイ大学に寄贈しました。2004年に保存と再建を支援するチュムパット・パンティップ財団と協力して移築しました。  10.メーナイ・カムティエン – ファーライ・ハウス  この木造住宅にはユニークな特徴があります。それは、家の四方の壁が木製の引き戸になっていることです。家の換気をよくするためです。ルアン・アヌサン・スントーンとカムティアン夫人がカムティアン夫人が1930年に亡くなり、ルアン・アヌサン・スントーンが1934年に亡くなるまで、この家に住んでいました。その後、1969年に子孫がこの家をプラ・アラム・ルアンのスアンドック寺院に移築しました。寺院はこの家を事務所として使用していました。2019年スアンドック寺院は、チェンマイ大学にランナー芸術文化の保存を目的とするユニットがあることを考慮し、この建物をチェンマイ大学に寄贈しました。  ~ランナー伝統家屋の他、この博物館には4棟の米納屋も展示されています。~  11.ロンカオパサン  元々はランプーン県パサン郡のナンタックワン家の大きな米貯蔵施設でした。現在はランナー伝統家屋博物館の管理下に置かれています。建築様式から推定して築年数150~170年の建物です。屋根の下の三角形に美しい孔雀の彫刻が施されているのが特徴です。  12....
Baan Kang Wat

チェンマイのクラフトビレッジ。手作りアート・おしゃれ雑貨、カフェが立ち並ぶ Baan Kang Watバーン・カン・ワット 

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サワディーカー!パットです。 今日ご紹介する「バーン・カン・ワット」はチェンマイにある小さな古民家風ショップが立ち並ぶ地元スタイルの商業施設です。昔の人々のように、互いに助け合いながら生活するコミュニティを作りたいという願いを込めて、自然に囲まれた住宅地として設計されました。ノスタルジックと現代風が混ざり合ったような雰囲気です。エリア内には半木造、半コンクリート造りの家が建ち並んでいます。アンティークな照明で装飾されています。  「バーン・カン・ワット」は誰もが大好きになる観光地でもあります。チェンマイに来たらぜひ立ち寄ってみてください。このプロジェクトの始まりは土地のオーナーがチェンマイ大学からそう遠くないエリアであるこの場所を有益に使おうと考えたことでした。オーナーはこのエリアを村のようなスタイルにしたいと思いました。同じ考えの人々を集めて「バーン・カン・ワット」は活気のあるビジネスエリアになりました。ここには実際に人が住んでいて、夕方、店を閉めた後一緒に食事をしたり、軽いパーティーをする家族的な関係性が生まれ、それがこの場所の魅力になっています。ここのもう一つのユニークな点です。  レストランやカフェ、雑貨・衣料品店、ハンドメイドアート、ギャラリーなどがあり、座ってくつろげる場所もあります。散歩にもとてもいいですよ。バーン・カン・ワットでは毎月、教室やワークショップ、楽しいアクティビティなどのスケジュールも組まれています。  建築家は家だけでなく、外の共有エリアを大きな中庭として設計しました。ここにはカーブした階段が中央の中庭に流れ落ちるように作られています。憩いの場や活動の場として利用されています。プロジェクトの構成は自然。現代的なスタイルの中に古い時代の魅力があります。そのため、口コミを見て旅行に来る人も多いです。  おしゃれなコミュニティモールの雰囲気に合わせた新しいスタイルのレストランのようです。ライブキッチンのように目の前に調理中の料理が並んでいます。新鮮な食材を目の前で調理しゲストを魅了します。座席は十分にあります。使用される容器は天然素材で作られており、メニューのほとんどはシンプルですが質が良く、味も良いです。  結構いいお値段ですが、濃厚な味で美味しいです。見た目も可愛くて感動しました。  「バーン・カン・ワット」は小さな理想的なコミュニティーです。何かに興味、愛、情熱を持つクリエイティブな人々が集まる空間です。ビジネスを行う空間であり、好きなように生活する空間でもあります。そして、この村のメンバーは人々が訪れることを歓迎しています。チェンマイに来たらぜひ体験しに来てみてください。交流しましょう。そして買い物も楽しんで!特に雑貨好きの女子はきっと好きになります。。のんびりと歩き、美しい写真を撮るのが好きな人なら誰にでもお勧めの場所です。  Location :  Address: Ban Kang Wat, 191 Ban Ram Peng Road, Suthep Subdistrict, Mueang Chiang Mai District Chiang Mai Province  ターぺー門より車で約20分  Tel: 0-95691-0888  営業時間: 午前 10:00 - 午後...
バーン・クディチン博物館

バンコク、トンブリーのポルトガル人街を散策! バーン・クディチン博物館 [Baankudichin Museum] 

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サワディーカー!パットです。本日も割とレアな博物館を紹介するよ!  バーン・クディチン博物館。 クリーム色の木造 3 階建ての建物です。アユタヤ時代から現在に至るまでのシャム系ポルトガル人コミュニティに関する文化、習慣、伝統、言語、宗教、コミュニティのルーツについて学ぶことができる博物館です。ナビニー ・ポンタイ女史によって2017年に設立されました。  博物館は3つのフロアに分かれています。 1階:コーヒーショップとお土産屋さん  建物に入ると、かわいい小さなコーヒーショップがあります。落ち着いた雰囲気で清潔です。まるで家にいるような気分になります。この博物館は入場無料ですので、見学を終えたら飲み物やお土産を買って支援することをお勧めいたします。博物館のオリジナルTシャツやバッグもいい感じ。そこで私はアイスレモンティーをいただきました。 床のタイルやカップのロゴもポルトガル風でかわいい。  2階:ポルトガル領シャムの誕生  アユタヤ時代に初めてシャムにやって来たポルトガル人の歴史を伝えています。ポルトガル人は、シャム国との貿易と友好関係を築くためにやって来た最初の西洋人でした。それを進めるために当時マラッカと交戦状態だったシャム軍の戦いに協力し、アユタヤにポルトガル人コミュニティとキリスト教会を設立するための土地を受け取りました。その後トンブリーのこの地に移り、シャム系ポルトガル人の血統を受け継ぎ現在のクディチン・コミュニティになりました。  この部屋の見どころは、ポルトガルのキャラック船(難破船)のレプリカです。 背景はアユタヤ時代のポルトガル人でにぎわう桟橋を再現したものです。  ポルトガル人が持ち込んだ道具、建築、外交言語、貿易、軍事などのポルトガルの知恵と文化がシャムに与えた影響はたくさんあります。コーヒー(Cafe)、紅茶(Cha)などの外来語やチリ、パパイヤ、トウモロコシ、カボチャ、パイナップル、ノイナー、トマトなどポルトガルがシャムに輸入した植物や果物があります。タイ料理に欠かせないチリもなんと!ポルトガルから来たものなんですねー。  シャム(タイ)がポルトガルから輸入した銃器、大型クライマー、黒土弾など  3 階:トンブリー時代から現在までのクディチン・コミュニティの歴史  クディチン・コミュニティの人々の持ち物や生活を通して歴史を紹介しています。 中に入るとすぐ50 ~ 60 年前のかわいらしい背もたれの付いた小さなベッドが目に入ります。  寝室とデスク。 人々の過去の生活を再現しています。  ベッドの横には籠やストーブなど様々な道具が置かれており、キャビネットの中には昔の人が使っていたおまるやボウルなどの中国製タイルの陶器が展示されています。  ポルトガル人から受け継がれ、今もこの地域で調理されている、他のコミュニティでは見られないポルトガル人の代表的な料理を再現した食卓。  こういった博物館を巡ることは、一種のタイムトラベルですね。ここではアユタヤ時代から現代までのタイ王朝におけるポルトガル人の歴史を垣間見ることができました。 バンコク市内の観光の一つとして、ぜひ立ち寄ってみてくださいね。 それでは、また!  ***** 行き方***** BTSに乗ってナショナルスタジアム駅で下車。駅を降りてすぐのバス停で73番バスに乗って終点のブッダヨドファ橋で下車。そしてブッダヨドファ橋を歩いて渡ってください。 橋を渡って右に曲がり、チャオプラヤー川に沿って歩けば5分もかからずに到着します。(Google MAPのルートだと遠回りになるのでご注意ください。)  Location     :     271 Soi Wat Kalyan, Bangkok, Bangkok 10600  Open         :     Open Tuesday-Sunday 09:30-18:00...

タイの西洋医学の歴史を知る!ベルリン薬学博物館 [Berlin Pharmaceutical Museum]  

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本日はまたレアな博物館を紹介するよ! 淡い黄色のこのヨーロッパ風の建物が、ベルリン薬学博物館です。ナンクラオ王(ラーマ3世)の治世の初めに遡り、タイの西洋医学の歴史を学びます。この小さな博物館はチャイ・チェイヌワット博士を記念して建てられたもので、チャイ博士は1932年にベルリン調剤薬局という患者を治療する個人診療所を開設しました。  ベルリン薬学博物館の内部には、中国からシャム(当時のタイの国名)に移住した華僑のチャイ・チェイヌワット博士の生涯の物語が展示されています。家族は裕福ではありませんでしたが、生活の質を向上させるのに役立つ教育の重要性を認識していました。そのため、彼は奨学金を受けて勉強し、上海にあるドイツ医科大学を卒業するまで、熱心に医学を学びました。そして、父と母への恩返しとタイの国のために大学からのオファーを断り、シャム(タイ)に戻りタイの人々を治療するために学んだ知識を持ち帰ることを決意しました。 ドイツ人の先生に感謝の意を表すためにベルリン調剤薬局という名前で開業したのです。  この博物館では、チャイ博士の家系図と歴史、小さな診療所から製薬会社へとなり、近代的な製薬工場を持つベルリン製薬工業株式会社になるまでを年代順に紹介しています。  タイに戻ったチャイ医師は、患者を治療するためのクリニックを開設しました。これは中華街の近くのジャルンクルン - ヤワラート通りエリアで最初の私立クリニックの1つと考えられています。一般患者を治療する場所は、知識を教えてくれたドイツ人教授を称え「ベルリン薬局」と呼ばれています。患者の記憶に残るチャイ医師は、患者の治療に専念する人でした。治療費が無料になることも多かったそうです。親切で正確な診断スキルがあり、優れた薬の処方を持っていることを含め、チャイ医師の評判は中国人の間で広く知られていました。  チャイ医師は建物の2階全体を診察室兼オフィスとして使っていました。2つ目の展示室は模擬実験室です。実際に使用されていた医療機器が展示されています。診察台、ベッド、ドイツの医学書などもあります。  次の部屋は薬剤室です。ベルリン製薬会社の原点であるチャイ医師の製薬事業の雰囲気が感じられます。医薬品の製造機械が展示されています。チャイ医師が作っていた昔の薬、最初の頃はほとんどが液体でした。薬を徹底的に粉砕し、抗生物質や解熱剤など、患者が水に入れて自分で飲むように、計量して分包していました。  チャイ医師は、人生の大半を患者の治療に捧げてきましたが、年を重ねるにつれ、家族のために安定した生活を送ることを考えるようになりました。1954年、彼は同じ建物にベルリン医薬品販売有限責任事業組合を設立しました。起業当初は赤字の連続でした。しかし、良い薬を適正な価格で提供することが、いつか成功するという信念を持っていました。その結果、チャイ医師と彼の家族は、患者の治療とともに医薬品の製造、製薬事業に専念するようになりました。  最初に製造された薬には、ネオトニン、ベルリンバーム、食欲増進作用のある医薬品ブランドの「フルートを吹く天使」、黒い咳止め薬、フストニンなどがありました。チャイ博士の医薬品販売事業は徐々に成長しました。現在もベルリン薬局の医薬品は同社によって生産および管理されています。ベルリン製薬工業株式会社は、国内有数のジェネリック医薬品の製造販売業者です。  生産速度:毎分250錠。ドイツ、ベルリン製。1969年購入。  この博物館は小さな教育リソースです。すべて観るのに30分もかかりませんでした。 見学を終えてベルリン・ミュージアム・カフェ(Berlin Museum Cafe)で一休みしました。飲み物や軽食を提供していて、入場券を提示するとカフェの飲み物が10%割引になります。ベルリン薬学博物館でのチャイ博士の物語は、彼の成功の要素を明確に示しています。ぜひ親子でも訪れていただきたい場所です。  *** ベルリン薬学博物館***  開館時間:火―日(月曜日は休館)午前8時30分~午後4時30分  MRTワット・マンコーン駅3番出口を出て、右に曲がり200メートルほど。(徒歩約5分)  所在地:359 Charoen Krung Road, Pom Prap Subdistrict, Pom Prap Sattru Phai District, Bangkok.  https://maps.app.goo.gl/1Y6UFq2VUFocSXBfA

太陽を食べる魔人ラーフ―をお参りに行こう! Srisathong Templeワット・シーサトーン(ナコーンパトム県) 

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サワディーカー!パットです。今日は、功徳を積み、邪気を払い、人生に良いことをもたらす寺院へ皆さんをお連れします。この寺院はバンコクから西へ約55Km(車で約1時間)ナコーンパトム県にあります。ナコーンパトム県はインドシナ半島の中で一番最初にインドから僧が来てお釈迦様の教えを説かれた仏教伝来の地です。世界最大級の仏塔が建っていることでも有名です。仏教の聖地として全国から巡礼者が訪れています。 本日ご紹介する寺院はラーフ神(プラ・ラーフー)が祀られている寺の中でもとても有名なワット・シーサトーンです。この寺院はナコーンパトム県ナコンチャイシー郡で最も古い寺院です。ラーマ1世の治世以来の長い歴史があり、1815年のラッタナーコーシン時代初期に建てられました。この場所は古代の遺物や重要な史跡がたくさんあります。また、昔から天文学、占星術、薬草学などの研究が行われてきました。  このお寺は村人たちの協力で建てられました。寺を建てるために地面を掘っていたとき、地中から黄金の仏像の頭が見つかりました。そのため、このお寺はフアトーン寺と名付けられました。(フア=頭、トーン=金色の)しかし、後にナコーン・チャイシー川から切り離すために運河が掘られました。この運河はワット・フアトーンと村の南側を通っていたため、村人たちは移動に便利な運河の近くに住むようになりました。このお寺も運河の近くに移され、名前がシーサトーン寺に変更されました。  ワット・シーサトーンの見どころ。大きなラーフ像が祀られています。 プラ・ラーフーはインド神話にでてくるアスラです。タイの多くの寺院で祀られていますが、実はヒンドゥー教の伝説では悪魔なのです。世界が創造された時に神々と悪魔が不老不死の薬(アムリタ)を取り合いました。アムリタは神々の物になったのですが、その前にこっそり盗み飲みした悪魔こそがラーフ―でした。そして、月と太陽の神様がヴィシュヌ神(ヒンドゥー教の最高神である三大神の一つ)にそのことを告げ口したため、体を真っ二つにされてしまいます。しかしアムリタを少し飲んでいたので上半身だけ不死となっていて、4本の腕と蛇の尾を持つ今の姿になりました。手に持って齧っているのは月か太陽です。告げ口されたことを根に持ってガジガジしているんでしょうか。プラ・ラーフーが月や太陽を飲み込むと月食や日食が起こるという言い伝えもあります。しかしタイではプラ・ラーフーに敬意を払って祀っています。悪いものを払う手助けをしてくれると信じられています。金運、仕事運、幸運、魔除けが信じられています。時に悪魔の力は強力な魔除けになりご利益があることがありますよね。タイ人はプラ・ラーフーが好む黒い物(黒ブドウ、ライスベリー、ブラックコーヒー、黒豆、仙草ゼリーなど)をお供えします。  礼拝堂もあります。とても珍しい、精巧で美しい模様で装飾されています。多くの美しい装飾を彫る技法を見ることができます。芸術をさまざまなスタイルに分けて、それらを混ぜ合わせています。キリスト教の教会のように湾曲した屋根や、中国風の装飾、タイ文字で装飾されたもの、ヒマパンの森(ヒマラヤ山脈にあると言われる神話の森)など様々なスタイルをミックスしています。まったく飽きることなく長時間歩き回ることができます。とても美しい芸術です。私はこの寺院をお勧めします。バンコクから日帰りで行けますのでぜひ足を運んでみてくださいね!それではまた!  Location :  Sisathong Subdistrict, Nakhon Chai Si District Nakhon Pathom Province.  Open for viewing : Every day 7:00 a.m. - 5:00 p.m.   自家用車かタクシーでバンコクからの所要時間は約1時間。 バス: 南バスターミナルからバスやVANでも行けます。 列車: クルンテープ・アピワット中央駅(バンス―中央駅)からライトレッドライン(バンスー-タリンチャン)に乗り、約20分移動し、接続点のタリンチャンジャンクション駅で下車し、南ルートのディーゼル近郊列車(フィーダー)に乗り換えてナコンチャイシー駅まで行きます。乗車時間は約1時間  電車を降りたら、駅員にワット・シー・サトーンへの行き方を尋ねてください。寺院まで連れて行ってくれるバイクタクシーを勧めてくれます。料金は1人あたり約20バーツです。本数は少ないのでバンコクへの帰りの電車の時間を駅員に尋ねることを忘れないでくださいね。 
Bangkokian Museum

バーンラック(愛の街)エリアにある 家族の愛と温かさを感じるBangkokian Museum(バンコキアン博物館) 

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サワディーカー!パットです。 本日は知る人ぞ知るマニアックな博物館Bangkokian Museumをご紹介しますね。  バンコキアン博物館ができた背景  この博物館は1992年2月25日にワラポーン・スラワディー教授がインサート・サアン財団の支援を受けて設立しました。元々彼女の母親であるサアン氏が所有していたこの土地と住居をバンコクの中流階級の人々の生活を紹介できる博物館として一般公開したのです。 ここではバーンラックの人々の物語を探索し、1937年頃のバンコクの人々の生活を体験することができます。博物館の創設のきっかけは、バンコクに緑地を作りたいというワラポーン教授の願いでした。彼女は木々を愛する人物であり、植樹家でもあります。そして彼女は当時の村人たちの物語を伝えたいとも思ったのです。その時代の社会史を映し出す小さな家族の物語。   300平方メートルの敷地に3つの建物があります。まずは最初の建物から見ていきましょう。今から80年以上前の1930年代。当時の生活はどんなものだったのでしょう。 1棟目の建物  最初の建物は、寄棟造りの赤い瓦屋根の2階建ての木造住宅でした。築60年以上の中国の職人技だが西洋の影響を受けた建築レイアウトになっています。ワラポーン教授の家族がかつて住んでいた建物です。この建物の内部は、次の部屋で構成されています。  1. 居間  このリビングルームは来客を迎えるために使われただけでなく、ワラポーン教授の母親のピアノルームでもありました。この部屋に展示されている古い品々の中にはピアノやワラポーン教授の義父であるフランシス・クリスチャン博士が所有していた1897年~1927年頃のヨーロッパ製のワインボトルや切り子ガラスのワイングラスなどが展示されています。  ワラポーン教授のお母さんの思い出のピアノ。  ボトルやカットグラスを収納するキャビネットもアンティークで素敵です。  2. ダイニングルーム  中央には6〜8人掛けのダイニングテーブルがあります。テーブルの上には、西洋風のディナーセットと中国風の磁器食器が飾られています。様々な形の緑色のホーローウェアもありました。  テーブルの上に並べられた洋食器と中国磁器の食器  ダイニングルームには古い白黒テレビが置かれていました。  3. 図書室  書斎または執筆室であるこの部屋にはサアン・スーラワディー女史(ワラポーン教授の母)の夫でインド人のフランシス博士の本が置かれています。(ワラポーン教授の義理の父にあたります。)フランシス博士はイギリスで外科の学位を取得しました。英語で書かれた様々な病気の治療に関する医学の教科書と、母親と子供向けの英語学習書です。この部屋に隣接してアンティークのバスルームとトイレがあります。  医学書などの展示  昔の学生用の机  本棚  昔の浴室とトイレ  それでは2階を見に行きましょう。  4. おばあちゃんの寝室  建物の2階にあります。おばあちゃんが亡くなった後にワラポーン教授が使った寝室です。おばあちゃんの寝室には、蚊帳付きのアンティークな洋風木製ベッドがあります。化粧台とキャビネット、化粧品を入れるガラス、さまざまな種類の香水瓶。これらはラーマ6世の時代のものです。アユタヤ後期からラタナコーシン時代のものと見られる礼拝用の仏像もあります。  化粧台  化粧品や香水用のガラス容器  昔の金庫  5. 先祖の部屋  先祖のお骨を祀っている専用の部屋がありました。  6. ヨーロピアン ドレッシングルーム  ヨーロッパ風に装飾されたドレッシングルームです。三面鏡になっているドレッシングテーブルがあります。男性のひげそり用の道具があります。 三面鏡の化粧台  髭を剃るための道具  7. 主寝室  この寝室はワラポーン教授の姉の寝室です。大きなワードローブがあり、化粧台と大きなベッドが置かれています。  バスルーム  2棟目の建物です。 この家はもともとトゥンマハーメック地区のソイ・ンガム・ドゥ・プリ(サトーン通りの西側)に建てられていたものです。オリジナルに近い形で再現された木造2階建ての家屋です。元々この家を建てた目的は、1階をフランシス・クリスチャン医師の診療所にするためでした。この家は医師が病気で亡くなるまでに完成しませんでした。その後、ワラポーン教授はトゥンマハーメックにあった家を取り壊しました。そして限られたスペースですが、こちらに再現されました。医療器具なども残っています。2階は寝室になります。  1階は展示会やアクティビティを開催するために使用されるオープンホールです。 2階には寝室が配置されており、患者の診察室を模した小さな小部屋もあります。 診察室  流し台  水道がなかった時代にこのような汲み置きの水を手を洗うために使われていました。  診療機器を保管するキャビネット  医師の寝室  診察室の向かい側にあります。  3 棟目の建物です。  1 階は生活用品が展示されています。 キッチン用品、文房具、工具、手工芸品などがあります。2階にはバンコクの概要が展示されています。バンコクの概要には次のものが含まれます。  昔のIDカード(身分証明書)  これはワラポーン教授の身分証明書です。  昔の家屋登記書  ガスコンロの無い昔のキッチン  調理には燃料として薪を使用していました。  キッチンの雰囲気  ドラゴンジャー  昔は、飲用や調理用に降った雨水を貯めなければなりませんでした。 そのため、このような大きな壺を置いていました。  アイロン  昔は電気がありませんでした。アイロンは木炭の熱を利用していました。 木製のハンドルが付いています。内部には加熱用の木炭や石炭を入れるスペースがあります。  なんだか懐かしいポラロイドカメラ  バンコク博物館は観光名所の一つです。 母親から受け継いだ家と資産を、次世代の若者たちが学ぶための博物館にアレンジしたいというワラポーン教授の意向で新しい視点の博物館ができました。この家はバンコクの財産になりました。第二次世界大戦前後の中流階級の人々の生活を物語る建物です。展示されている品物や家電のほとんどが家の持ち主が実際に使っていたものでした。 私はこの家の魅力に恋をしました。ワラポーン教授の家族の愛と温かさを感じます。😊  住所:   Soi Charoen Krung 43, opposite the Central Post Office, Bang Rak District,...
HARIO CAFÉ

日本庭園もある!スタイリッシュな和風カフェHARIO CAFÉ ハリオカフェ 

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サワディーカー!パットです。 今回行ってみたカフェはラップラオエリアのスタイリッシュな和風カフェ。日本のハリオブランドとアロマタイランド社のコラボレーションにより誕生した海外で3番目の支店です。 落ち着いた雰囲気の中で、24時間いつでもゆったりとコーヒーを味わえる、コーヒー愛好家のための集いの場となっています。こじんまりとした清潔感のある店内は、禅をイメージした日本庭園のような落ち着きと温もりが感じられます。   清潔感のある白を基調としたロフトスタイルの温室のような一軒家カフェです。ドアを開けると店内の大部分を占める大きなバー カウンターが現れます。このカウンターは、バリスタと従業員のスペースが仕切られており、バリスタがコーヒーを入れるところが見れますし、コーヒーを飲みながら会話を楽しむことができます。  雰囲気のあるバーカウンターの他に、ガラス張りの座席スペースもあります。木製のテーブル、白とアースカラーの家具が置かれています。ガラス越しに店内に柔らかい光が差し込んでいます。座っているとほんのり温かい空気につつまれていい気分になります。とても美しい自然の照明です。  この店では日本製の高品質なドリップコーヒー製品や器具も販売しています。HARIOブランドのドリッパー、ミル、フィルター、などの器具やコーヒー豆、茶葉なども販売しております。HARIOは日本の熱ガラスのメーカーです。ドリッパーのデザインも可愛らしくてスタイリッシュ!お家用に買いたくなってしまいます。  カフェには外の雰囲気が好きな人のためのチルアウト・エリアもあり、外には建物と同じようにH形鋼のポールを使った木製の格子ゾーンがあり、同じくメロウな雰囲気を醸し出しています。  日本庭園が広がっています。  Ice Chocolate 100 Baht.  Ham and Cheese Croissant 120 Baht.  パン、ケーキ、クロワッサン、サンドイッチなどベーカリーやデザートがたくさんあります。私としては、値段はかなり高いと思いました。私はソークハムとチーズのクロワッサンを注文しました。パンがちょっと硬すぎました。  このハリオ・カフェ・バンコクは、コーヒー好きのためのスペシャルなカフェであり多くの人々の新たな憩いの場にもなっています。もしあなたがコーヒーを飲むのが好きで、コーヒーについての話や交流に興味があればここに来るのは楽しいこと間違いなしです。  今回私が行ったのはラップラオのチョクチャイ4通りの店舗ですが、 スクンビット33にも支店があります。日本人が多く住むエリアですね。こちらも一軒家で雰囲気が良いので便利な方へ行ってみてくださいね!  場所:Soi Chokchai 4(ソイチョクチャイ4のソイ39)の入り口、店舗前に4台ほどの駐車スペースがあります。満車の場合は、反対側に駐車できます。  電話番号:0854802920  営業時間:24時間営業(時々変更あり。要確認。)  https://maps.app.goo.gl/Jrd52G2eRBogdoyo8
Phayathai Palaceパヤタイ宮殿

[ラーマ6世の愛した都会の中の離宮] Phayathai Palaceパヤタイ宮殿 

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サワディーカー!パットです。 本日ご案内するタイの名所は「パヤタイパレス」です。 この宮殿がある「ラチャウィティ通り」は約100年前にチュラロンコーン国王陛下 (ラーマ 5 世)がサンヒー通り(現在ではサンギと呼ばれることが多いが、これは中国で 「とても喜ばしい 」という意味の縁起の良い言葉である)と名付けました。その後陛下の治世中に「ラチャウィティ通り」という新しい名前になり現在に至ります。 サンヒー通りの終点には刈りたての菜園や畑が広がり、そこをサムセン運河が流れているので開放的で空気も心地よい場所でした。  パヤタイパレスまたはワンパヤタイとも呼ばれるこの宮殿は穀物を植える実験場や、王室の戒律を守るための休憩所として使用するためにラーマ5世のご厚意により、田んぼだった100ライの土地を購入するよう命じられました。そして陛下がこの田んぼの丘を訪れた際に、過ごす場所として1909年に宮殿が建てられました。そこから陛下は頻繁にパヤタイ宮殿に滞在するようになりました。最後に訪問されたのは1910年10月16日で陛下が崩御される1週間前のことでした。ラーマ5世の崩御後、妻であるスリ・パチャリントラ王女殿下が、ラーマ5世の近親者や同世代の人々とともに、約10年間パヤタイ宮殿に滞在しました。  それはラーマ6世の治世まで続き、ラーマ6世は元の宮殿の一部を取り壊し改装するよう命じました。その後、ラーマ7世の治世に、ビジネスのためにサイアムを訪れる外国人に便宜を図るため、一部を「パヤタイ・パレス・ホテル」という一流ホテルに改装しました。高級ホテルに分類され、「東洋一」と称賛されていました。また後にラジオ放送局の所在地になったり、タイ王国陸軍の医療司令部が置かれたり(後のプラモンクットクラオ病院)現在に至るまでさまざまな用途として使われてきました。現在のパヤタイ宮殿は一般の人が訪れることができる博物館として整理されています。私たちは宮殿の内部を見に行きました。  見学前に見学チケットを購入します。 入場料: 大人60バーツ シニア(60歳以上)30バーツ 子供(10~14歳)10バーツ (追記:外国人観光客も同料金)  チケット購入後、待合室で宮殿見学のルールなどを説明されます。いざ出発。  元々パヤタイ宮殿の 3 つの王室公園のうちの 1 つで、王族の憩いの場であったと考えられています。景観は幾何学的でローマ建築様式を用いた庭園パビリオンです。中央の丸いパビリオンには、コリント式の柱に支えられたドーム型の屋根があります。その両側には、長方形で屋根のないパビリオンがあり、ドームと同じような柱が上部を横切る梁を支えています。ローマ風の大理石の置物で飾られています。正面とつながる階段エリアには大きなプールがあります。プールを囲む広い歩道がパビリオンとつながっています。このパビリオンは野外公演の舞台として使用されることもあります。  ピマーンチャクリー宮殿の西側に位置し、ラーマ6世が建設を命じた宮殿です。チーク材の2階建てで、屋根は粘土瓦で作られています。ラーマ6世が1920年8月22日から一時的に滞在し、仕事場として使われていました。宮殿の中にはラーマ6世が散髪をし、入浴する場所があるのも特徴的です。  ピマーンチャクリー宮殿の西側にあります。王族の接待に使われていました。天井と天井近くの壁には花柄のアールヌーボー様式の模様があしらわれており部屋の天井には西洋風の羊飼いの男女と羊の絵が描かれています。  パヤタイ宮殿で重要なもののひとつが、ラーマ6世の治世に建てられた民主主義都市のミニチュアであるデュシタニ(天国の都市)です。ラーマ 6 世は、1エーカーの土地に民主的な統治を試すためのモデル都市の建設を命じました。そして実際そこに人も住んでいました。しかし現在このミニチュア都市は残っておらず、その模型がこの部屋に展示されています。  パヤタイパレスの中央に位置し他の宮殿建物につながっています。退位された国王が過ごしたり、食事をする部屋があります。拝謁の為の部屋があり、ラーマ6世の肖像画と暖炉があつらえられています。南国タイで暖炉を設えたのはラーマ6世のヨーロッパ風装飾へのこだわりでしょうか。 浴室も完備し、内部は乾式石膏技法による美しい天井模様と絵画で飾られています。パヤタイ宮殿がパヤタイホテルに改装された後、ピマーンチャクリーホールの2階にあるこの国王の寝室は、ベッド2台、バスルーム1つ、扇風機や電話などのアメニティを備えた豪華なマスターベッドルームに改装されました。当時料金は1泊100バーツでした。現在の価値だと8万円くらいでしょうか。(価格は昔のお金の価値に基づいています。)当時としては豪華なホテルでしたね。  2階のドームの下の部屋です。金色の模様が入った白いキャビネットの本棚が上品で素敵です。  王の寝室(ロイヤル・スイートルーム) ラーマ6世は、新しい寝室を造るため、ワイクン・テパヤサターン・ホールの3階を増築しました。彼は部屋の換気に特に気を配り、新鮮な空気が部屋に入るように特製の折りたたみ式のカーテンを設置させました。また天井の換気口は、夏の暑さをしのぐのに役立ちました。フレスコ・セッコの天井画には、楽器を演奏する4人の若い天使が円状に描かれています。後のパヤタイ・パレス・ホテルには4つのスイートがあり、このワイクン・テパヤサターン・ホールの3階にある部屋がロイヤル・スイートで最も豪華で、1泊120バーツでした。  この宮殿は正面にあります。特徴的なビザンチン建築の影響を受けておりドームがあります。中央は4つのフードを備えた湾曲した屋根で支えられています。壁の上には人物と植物の模様が描かれています。かつては王室の儀式の場でした。誕生日のお祝いや王室の慈善行事や宗教的な儀式、王室の来賓をもてなすために使われたり、時には劇場や映画館として使用していました。  カフェ・ド・ノラシン  ラーマ6世の治世末期に建てられた100年以上の歴史があるタイで最初のコーヒーショップです。当時は商人、外国人、王室衛兵の間で人気の店でした。甘いデザートや風味豊かな料理など王室の厨房レベルの美味しさでしたが、ラーマ7世の治世初期に廃業しました。その後、パヤタイ宮殿保存財団がラーマ6世の時代のカフェの雰囲気を再び体験できるように修復し、2010年8月1日に正式にオープンしました。装飾には初期のラッタナコ​​ーシン時代の建築と西洋文明を融合させています。家具はすべてクラシックなスタイルでラーマ6世時代のものを模倣しています。このレストランに来れば誰でも、まるで宮殿で食事をしているような、贅沢な気分を味わうことができます。   パヤタイパレスは古い宮殿で、思い出の場所であり、昔の文化を学ぶ場所でもあります。まだ見学用に一般公開されていない部屋もたくさんあるのですが、現在見ることができる部屋や庭だけでもいにしえの美しい芸術と当時の雰囲気や王室の品格を私たちに伝えてくれました。タイの王室や昔の文化に興味のある方はバンコク観光の際、ぜひ立ち寄ってみてくださいね!  パヤタイ宮殿はラチャウィティ通りのプラモンクットクラオ病院内にあります。電車で簡単かつ安価に移動できます。BTSスカイトレインに乗って、ビクトリーモニュメント駅で下車します。その後、ラチャウィティ通りに沿って病院まで少し歩きます。  毎週土曜日と日曜日に見学できます。午前9時30分と午後1時30分にガイドによるツアーがあります。1日2回見学できますが、1回のツアーは定員30人です。 ※ガイドなしの見学はございませんのでご注意ください。  Location     :     315 Ratchawithi Road, Ratchathewi District, Bangkok  Open         :     Saturday...